こんにちは 市川弘美です。
今日は、私がはっさくをむいて息子と夫がそれを食べるのを眺めながら、色々と感じたことや親子の関係についてつづってみました。
子供が生まれてはじめて、私は自分以外の誰かに、はっさくをむいてあげるという経験をしました。
でもその時、私の心は意外なことを考えていました。
「いいなー この子は、親にはっさくをむいてもらえて」
親にそういうことをしてもらえる我が子に、嫉妬していたのです。自分は何もしてもらえなかったと。他にもそう感じたことは、たくさんありました。
クリスマスや誕生日には、ケーキを焼いて家族でお祝いをすること。天井に届きそうなほどのクリスマスツリーをリビングに飾って、12月にはアドベントのお菓子を毎日食べること。動物園に毎週末に連れて行ってもらって、思う存分遊ぶこと。
自分はやってもらえなかったから、我が子には寂しい思いをさせたくなくて、してやりたいと思っていたことです。それで、心のどこかで、親にやってもらえる我が子はいいな嫉妬心を抱いていました。
けれども、その嫉妬心は大きな間違いでした。
自分はやってもらえなかったからとか、親にやってもらえる我が子はいいなとか、そう思っていること自体が大きな間違いだと気付きました。
私は親から違うかたちで愛情を受けていたことに気付いたのです。はっさくはむいてもらえなかったけれど、動物園には一緒に連れて行ってもらえなかったけれど、全く違うかたちで愛情を受けていたんだなと。
それは、私にとって大きな気づきで、その後の人生を楽にしてくれました。親から愛情を受けてないと思っていたのに、実は愛情をもらっていたと分かったからです。
子供って勝手です。親の心子知らずなのです。親子を語る時、よく「無条件の愛情」という言葉が出ます。この無条件の愛情という言葉に、私はとても違和感を持っている一人です。条件付きでも条件付きでなくても、愛情を注ぐんだから、そんなの関係ないんじゃないかと。親は子に愛情をそそぐとき、無条件の愛情を注いでいるとは思っていなくて、当たり前のこととしてやっているわけです。無条件の愛情を受けるのはむしろ親のほうで、子供が小さい頃は「人生最大のモテ期」を親は経験します。子供は親をトイレにまで追いかけてくるのですから。
私は親からの愛情をもらっているとか、もらっていないとか、そんなことにこだわるのはやめました。それよりも、今目の前にいる人を大切にすることが一番だと思います。