こんにちは 市川弘美です。
『65歳になったら書いておく エンディング・ラブレター』すばる舎より12月13日発売。
エンディング・ラブレターは、人生の最期にそなえて、大切な人へ心からのメッセージを送る、「長い間、ありがとう」の感謝の手紙です。私のオリジナルネームで「エンディング・ラブレター」と名付けました。そのような手紙は存在していたと思います。が、それを定義し、提唱したのがこの本です。
では、エンディング・ラブレターは、どうやって生まれたのか。その誕生のストーリーを今日はご紹介します。
エンディング・ラブレターは、今になってみれば、この3つの点(出来事)が線になって、その先に生まれたのだと分かります。3つの出来事とは、
1)実父の他界
2)ライターの先輩のひと言
3)紀伊國屋書店で見たエンディング・ノートに書いてあったこと
1)実父の他界
私の実家の父は、2011年7月に亡くなりました。四十九日の法要も終わるか終わらないかのうちに、父の日記が出てきました。母から知らされた時、すぐに見たいとは思わなかったので、何週間か経って開いてみました。
そこには、私のことが書いてあったのです。
・中学、高校は部活を頑張っていた。
・いい旦那さんに巡り会えた良かった。安心だ。
これを見て、私は驚きました。私のことを思っているとは、思いもよらなかったからです。幼い頃から父は忙しく家は不在で、父は遠い存在でした。昔の家族は大人と子供の線引きがはっきりあったので、そういう状況は普通だったと思います。ただ幼なごころに寂しい思いはしていた記憶はありますね。ですので、父が私のことを日記に書いていること自体、びっくりしたわけです。
そして日記を見た時の私の思いは、「なんで私に言ってくれなかったのか。言ってほしかった」でした。
2)ライター先輩のひと言
私の尊敬するライターの大先輩の方々は、皆さん商業出版していらっしゃいます。その先輩方が私に言うのです。
「次は、弘美さんよ」と。
「いやー私は著者の執筆をお手伝いするのが好きですから~」と笑って答えていました。
が、なぜか、そのひと言が頭から離れなくなり、とうとう私は「私に書けることって何だろう?」と自分の本のネタを探し始めたのです。それが4~5年前くらいからだったと思います。
3)ついに!紀伊國屋書店で…。
ある日、大阪梅田の紀伊國屋書店の「終活コーナー」に立ち寄り、エンディング・ノートをパラパラと見ていました。すると、「大切な人へのメッセージ」を書く欄がありました。その瞬間!「ビビビーー」ときたのです。
「この大切な人へのメッセージって、書くのむずかしい人もいるんじゃないかな。わたし、このメッセージの書き方を教えてあげたい」
何の根拠もなく、「この書き方、教えてあげたい!やっぱ手紙のほうがいいんちゃうかな」と頭の中は、エンディング・ラブレターのひらめきが次々と浮かんできました。時期はよく覚えていなくて、3~4年前だったと思います。
3つの出来事とは
1)実父の他界ーー「私に言ってほしかった」
2)ライターの先輩のひと言ーー「次は、弘美さんよ」
3)紀伊國屋書店でーー「大切な人へのメッセージ、私が書き方を教えてあげたい!」
エンディング・ラブレターは、私のそれぞれの出来事とその”思い”が、重なって生まれました。
そして、出版に至るまでは、まだ数年の時間がかかります。
出版のためには、ひらめきや漠然としたもの、そして私の思いを「形」にしなくてはいけません。
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※エンディング・ラブレターは、商標登録出願中です。