介護をしないことへの罪悪感

こんにちは 市川弘美です。

自分が50代、親が80代後半になり、親の介護について考えることが多くなりました。介護離職・遠距離介護といった造語が普通の言葉に替わるということは、世の中の多くの人がその課題を抱えていることを意味しています。

先日ネットで介護についての興味深い記事を見つけました。

「介護をするのは親孝行」は本当か?調査結果で判明した親の本音「子に迷惑はかけたくない」

調査結果は以下のとおりです(サイトより抜粋)。
・子:親の介護は誰がする?→自分(57.2%)
・親:自分の介護は誰がする?→介護サービス職員(49.6%)

子が思うほど、親は子どもに介護してほしいとは思っていないということでしょう。

他には、親を施設に入れたら、叔父伯母たち”外野”から「面倒見るの当たり前でしょ」と言われたときの対応についても触れていました。

親の介護や相続で、叔父伯母たちが何か言ってくるのは、よくあることです。小さいころから可愛がってもらっていると、簡単に反発もできないで悩みモヤモヤするところです。

記事にあるように”外野”なのだから、気にする必要はないのですが、言われたら気になるのが人情。「冷たい」とか「どうして家で看ないの」などと言われたら、それこそ罪悪感に苛まれてしまいます。

私も記事タイトルの「介護をするのは親孝行」を見て、「介護をしないのは親不孝」というフレーズが頭をよぎりました。

私自身は6人きょうだいの5番目で、これまでの経緯や理屈から言えば、親の介護はしなくてもいい立ち位置。でも、だからといって、何もしなくてもいいとは思っていません。

むしろ、親の介護を任せっぱなしにしていることへの、きょうだいと母に対する後ろめたさをゼロにすることはできないと感じています。

ただ、できることを精一杯やることはできます。日々の介護ができなくても、顔を見に行くとか、美味しいものを送るとか、電話で話をするとか。

2月に母が施設から一時帰宅するので、実家倉敷へ自宅神戸から日帰りで行ってきました。〆切り間近の原稿を抱えていて迷いました。が、母は91歳。今回行かなくて後悔したくないと思い、往復350キロを車で飛ばすことに。

母の介護を考えるとき、頭をよぎるのは自分の介護です。自分が介護される立場になったときのことを思うと、子どもに面倒を見てもらいたいとは私は今は思っていないです。とすると、親の介護をしないことへの罪悪感も少しは和らぐのかもしれません。

 

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