こんにちは 市川弘美です。
私は今50代ですが、最近、終活についてよく考えます。50歳を過ぎたら、急に60歳以降が目の前に感じるようになったからです。また気力体力があると自分で感じているうちに、さまざまな整理や準備をしておいたほうがいいと強く思うようになりました。40代の頃とは明らかに意識が変わりました。
今日のテーマは「お葬式」です。
自分の葬儀については、こちらの書籍を読んで、「自分の葬儀は自分で決めておこう」という強い意志が生まれました。なぜなら、もしも私が突然帰らぬ人となったら、遺された家族は相当大変だということを、この書籍を読んで「なるほど!」と深く納得したからです。自分で自分の葬儀を決めておくことがいかに大切かを知りました。
たとえば誰かが亡くなったときは、喪主が葬儀の段取りを決めます。
それは、連絡をしなければいけない人は誰か、日時や場所、祭壇をどうするか、棺をどうするかなどです。通夜と葬式の両方があり、両日の弔問客の対応もしなくてはいけません。葬儀が終わってからもやらなければならないことが、まだ山ほどあります。
文字どおり「悲しむひまがない」ほどに、喪主と家族は連日寝不足になりながら忙しい思いをします。故人をゆっくり見送ることができません。
それって、自分が亡くなることに置き換えて考えると、家族にそんな大変な思いをさせたくないと思ったのです。
家族が私との最後の別れをバタバタと過ぎて葬儀を終え、疲れ切ってしまうのではなく、様々なことを思い出しながら、生前ご縁が会った人と思い出話でもしながら、ゆっくりと見送れるようにしたいと思いました。
自分が死ぬことなんて、まだ考えたことはないし、考えたくない。そう思う方も少なくないと思います。しかし、いつ死ぬのかは誰にも分かりませんが、いつかは死ぬということは誰もが知っています。「いつ」なのかが分からないということは、30年後かもしれないし1年後かもしれません。
また葬儀はお金がかかります。最近は「家族葬」と言われ家族だけ・近しい人だけで執り行うことも増えたと思いますが、それでも安くはないお金がかかるでしょう。それに家族葬であっても、やることは山ほどあるというのです。
100万円200万円の買い物をするのに、じっくりと考えないで買う人はまずいないでしょう。書籍にも書かれていますが、何百万円もする車を買うときはカタログを見て、ショウルームに行って説明を聞き、何台か試乗して納得してから買います。それなのに、葬儀は下見どころか、何百万円も支払う相手、しかも今初めて会ったばかりの人をすぐに決めなくてはいけないのです。喪主の負担は相当なものです。
遺された家族の負担を少しでも減らすことができるなら、自分で葬儀社や葬儀の内容を決めておくことは、私にはまったく抵抗がありません。しかも、もしも突然帰らぬ人になれば、なおさら準備は必要だとさえ考えています。希望通りにできるなら、メチャメチャいいのではないかと思います。自分で自分の葬儀を確かめることはできません。
書籍には、葬儀社の選び方や、何を決めておけばいいかについて具体的なアドバイスが、分かりやすく書かれています。
「自分の葬儀をどうやって決めればいいのか」、知りたい方はこちらからお読みいただけます。